ブロック長が背負う陸の王者・慶應の箱根駅伝プロジェクト
初めまして。慶應義塾體育會競走部3年・長距離ブロック長を務めております、杉浦慧です。この度の記事が、高い目標に取り組むチームの組織作りとして、良い例になれば幸いです。
一期生として加わった慶應義塾體育會競走部・箱根駅伝プロジェクト
私が所属する慶應義塾體育會競走部は、2017年に創部100周年を迎えました。最近では、リオデジャネイロ五輪の男子4×100mリレーで銀メダルを獲得した山縣亮太選手や100mで9秒台を記録した小池祐貴選手、リオデジャネイロとロンドンのパラリンピックに2大会連続出場した高桑早生選手や800mでロンドン五輪に出場した横田真人選手など、日本を代表する選手を数多く輩出しています。様々な種目の選手が一体となって部を運営しているため、駅伝部とは異なります。
箱根駅伝については、1920年の第1回大会に出場した4校のうちの1校であり、出場30回、総合優勝1回という輝かしい歴史があります。しかし、1994年の第70回大会を最後に、予選会を突破できていません。そこで2017年、創部100周年を機に、本格的な強化を開始しました。それが「慶應箱根駅伝プロジェクト」です。
学生時代に日本体育大学で4年連続箱根駅伝出場、関東インカレ優勝やユニバーシアード入賞の実績を持つ保科光作さんをコーチに招聘しました。また、大学スポーツにおける駅伝競技のあり方、社会的意義からその強化方法に至るまで多面的な研究を目的とし、慶應義塾大学SFC研究所に、ランニングデザイン・ラボを設立。さらには、慶應義塾大学スポーツ医学研究センターにて、定期的にメディカルチェック(血液検査、心電図検査、最大酸素摂取量計測など)が受けられるようになりました。
私は、こうした強化体制のもと、実質一期生として入学しました。正直、このように整った環境でも、最初の1,2年は「誰かが箱根に出られれば良い」という空気がチームに漂っていました。慶應義塾大学と他の箱根駅伝出場校の違いは多くありますが、その中で最も大きいのは、スポーツ推薦の有無です。慶應義塾大学にはAO入試というものがありますが、合格が確約されておらず、スポーツの実力があっても入学できるわけではありません。結局のところ、元から強い選手が入らない限り、瞬間的に箱根駅伝に出られるようにはなりません。そういった面で、僕が1,2年生のころはまだ箱根駅伝が遠すぎて、まっすぐに出場を目指せてはいなかったと思います。
陸の王者のプライドを胸に、ブロック長へ
そうした中で私は、通常であれば4年生が務めるブロック長に、1年早く就任しました。ここで、私がチーム運営をしていく中で課題だと感じていることを紹介します。
まずは、大学スポーツに携わる以上、その大学の名を背負って戦うことになりますし、それはつまり結果を出すことが必要条件となります。慶應の場合は特に、「陸の王者」という二つ名がつきまとうため、私はこの「陸の王者のプライド」を忘れずにいたいと考えています。高校の卒業式の日、慶應で箱根駅伝に出るとクラスメイトに宣言しました。その時、「陸の王者なのに箱根には出ていないものね」と言われ、まさにその通りだと思いました。世間からのイメージに恥じない、慶應ボーイとして、強く結果にこだわるチームを作り、そして箱根という舞台で輝きたいと思っています。
次に、このイメージとのギャップです。これは慶應大学が箱根駅伝出場の壁を突破するために、最も大きな障壁だと考えています。箱根駅伝出場校は、実力のある選手を集め、加えて苦しい練習に励んでいます。そんな彼らに競技力で入学したわけではない僕らが対抗するには、それ以上の努力を積み重ねなくてはなりません。ただ、そこで邪魔をするのが先述したイメージです。僕らは慶應ボーイ。スマートに勝ちたいという思いが先行するあまり、そこまでの地道な努力を重ねるのが苦手です。たしかに、このレッテルにうまく乗り、頭を使うのは得意とします。練習の効力を最大限に引き出し、その練習通り、またそれ以上の結果を出すのはうまいと自負しております。ただ、その練習量の母数を増やすのが、とにかく下手です。加えて、私たちの部は競走部として、他の種目の選手たちもいます。ついつい敵を身内に見間違えてしまうのです。もちろん、他ブロックよりも多くの標準突破者を出すなどの目標は大切ですが、僕らの相手は部内にはいません。それを見誤らず、常に箱根駅伝出場校をイメージして、チームとして動くよう考えてきました。
大学長距離界断トツの成長力を産んだチーム作り
これらのことを基盤に、就任当時の2019年10月から半年間、まずは全日本大学駅伝の予選会出場に向けチーム作りを行いました。この大会には、前年のシード校を除く、関東地区上位20校が出場できます。各大学の上位8人の10000mタイムで選抜がなされますが、慶應大学は毎年この20校に入れていませんでした。私の感覚的に、この予選会に出場するのは、箱根駅伝に出場するのと同等もしくはそれ以上に難しいものだと捉えています。
まずなぜこの目標設定をしたかです。それまでのチームでは、前半シーズンは選手各々で取り組みたい種目が異なりました。これを10000mに統一することで、チームの一体感を高めたかったためです。この目標に向け私は、寮係やリクルート係、チーム啓発係や故障者ケア係と、チームを4つのグループに分け、選手それぞれに役割を与えることで、自主性を持たせました。また、毎月個人・チームでの目標を立て、それをミーティングやプリントで共有しました。それまで年数回だったミーティングを月に何回も行うことで、自らがチームの一員であることを自覚してもらい、まさに「陸の王者のプライド」を持ってもらうようにしました。
結果的にこの予選会は感染症の影響で中止となってしまいましたが、前年比で私たちのそのタイムは90秒弱も縮まり、大学長距離界では断トツで成長力のあるチームに発展しました。
コロナを逆手にチーム課題の解決を
そして現在は、明日10月17日に控える箱根駅伝予選会に向けたチーム作りを行ってきておりました。実は私たちは、感染リスクを下げるために3月下旬から2カ月以上、寮を閉鎖しました。正直、チーム運営の面では大きな痛手だと感じました。せっかく一体感を持ち、一つの目標に向かっている最中、個々での練習は状態確認もできず、コミュニケーションも取れない。まとまって練習ができている大学があるのを知ると、とても焦ったことを覚えています。しかし、ここで成長したチームメイトが支えてくれました。グループ分けした各部門の選手たちがそれぞれでオンラインミーティングを開始し、週4回のオンライン補強などを設定してくれました。コーチ陣から与えられるメニューを、自らの環境に合ったものに考えて変更し、主体性を持って努力できるチームになりつつあると思いました。
さらなる試練は夏場にもありました。6月から寮を再開できたものの、例年避暑地に1カ月ほど行く8月の夏合宿ができなくなってしまったのです。これにより、この8月、私たちは日中の日差しが強い時間を避けて練習を行いました。3日に1回は3時に起床し、日が昇る前に30㎞から40㎞を走破しました。多くの学校は合宿を行い、涼しい環境で質の高い練習を行っていました。それを見るたびに、私たちは妬みました。しかし、ここでも、取り組んできたことが活かされました。私たちには多くの弱点があります。まず、厳しいコンディション下で結果を出せない、というものが挙げられます。この2年間、暑かったり、湿度が高かったりと、そのような気候でのレースでは、全体として大崩れする場面が幾度となく見られました。また、怪我人の数を抑えられないというものもあります。夏合宿が終わる頃には、チームの半数以上が怪我をしているという事態もありました。このような弱みに対し、私たちはミーティングを通して正面から向き合いました。夏の環境は、それらの克服に最適であると考え、皆でその解決に取り組めました。合宿に行けず、ただでさえ苦しい練習に輪をかけてきついことをするのは、精神的にも身体的にも耐えがたいものでした。しかし、終わってみれば、例年よりもチーム全体の走行距離は増え、怪我人も0に抑えられました。自分たちでも驚きです。個人的な原因分析をするに、例年であれば練習をこなすことに全てを注ぎますが、今年はそれ以外にも、チーム課題の克服が個々の念頭にありました。これは、各々がチームを引っ張っていくという思考を持てるため、毎年の取り組み方の一段上のいけたのかと思います。
これらの取り組みにより、先日行われた競技会では、多くの選手が自己ベストを更新し、チームはさらに強くなりました。箱根駅伝出場という目標も決して夢でなく、手に届く範囲まで近づいてきていると思います。
後編に続きますが、明日の箱根駅伝予選会で全てをぶつけてきます。
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